【読書記事】劇薬すぎて受け入れられない「幸せになる勇気」岸見一郎/古賀史健・著
2016年06月22日
おはようございます。
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そんなわけで、
ついに足を踏み入れてしまいました!


幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII
日本におけるアドラー心理学研究の第一人者、
岸見一郎さんのベストセラー「嫌われる勇気」の続編です。
何度か手に取る機会もあったのですが、
なんとなく避けていたのかもしれません。
アドラーを学ぶ「青年」と、教師役(といっていいかわからないのですが)の「哲人」との、
激しい論戦が、全編に渡って繰り広げられる本書。
半ば小説を読み進めるような感じで、
気が付けば、論戦の先が気になって読み進めずにはいられないほどでした。
前回から3年、
アドラーの理想を実現すべく、教育現場で働き続ける青年でしたが、
理想通りにいかず、まさに学級崩壊寸前。
アドラーに絶望した青年は、再び哲人のもとを訪ね、論戦に挑む…
とまあ、こんな感じで進められていきます。
読み始めての感想ですが、
正直、決してたやすく理解出来るものではない。
というのが個人的な感想です。
が、
ただ、非常に厳しく、勇気を求められる教えであることは間違いないでしょう。
そして、シンプルであるがゆえに、誤解を受けやすいとも、
哲人も、
確かに、
私も本書を読んで完璧に理解しているのか、と問われれば、自信はありません。
私も大半の人と一緒で誤解しまくっているのかもしれません。
ただ、
己の浅学さを棚に上げても、
俺には言いたいことがあります!
アドラー心理学の基本的な考え方として、
「目的論」があります。
これはどういったことかというと、本書の「青年」の説明を引用すると、
私はよく、子どもたちに「因果応報」という言葉をよく使っています。
因果とは、
「因=原因」
「果=結果」
すなわち、「原因があって結果がある」
という言葉を信じていました。
ところが、アドラー心理学では、
そういった「因果」「原因」などで人間は動かされないとし、
その出来事に対して、どんな意味を与えるかによって生きている。
(と私は解釈しております)
そこまでは、なんとなく理解できます。
が、理解はできても納得できないのはここから!
本書の「哲人」は、
過去のトラウマに縛られることを、
悲劇という安酒に酔い、不遇なる「いま」のつらさを忘れようとしている。
と、厳しく非難しています。
私は、その厳しさに怒りを覚えてしまいました。
よりにもよって、人のトラウマやつらい経験などを簡単に「悲劇の安酒」の一言で片づけるなんて!
それは本書の「青年」も、
「虐げられた人間を侮辱している」
と、哲人を非難しています。
ですが、
哲人は言います。
さて、哲人の真意とは?
話が長くなりすぎるので、また次回続編を書きます。
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ついに禁断の扉を開ける。
人生の劇薬「アドラー心理学」のベストセラー!
人生の劇薬「アドラー心理学」のベストセラー!
そんなわけで、
ついに足を踏み入れてしまいました!
幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII
日本におけるアドラー心理学研究の第一人者、
岸見一郎さんのベストセラー「嫌われる勇気」の続編です。
何度か手に取る機会もあったのですが、
なんとなく避けていたのかもしれません。
アドラーを学ぶ「青年」と、教師役(といっていいかわからないのですが)の「哲人」との、
激しい論戦が、全編に渡って繰り広げられる本書。
半ば小説を読み進めるような感じで、
気が付けば、論戦の先が気になって読み進めずにはいられないほどでした。
前回から3年、
アドラーの理想を実現すべく、教育現場で働き続ける青年でしたが、
理想通りにいかず、まさに学級崩壊寸前。
アドラーに絶望した青年は、再び哲人のもとを訪ね、論戦に挑む…
とまあ、こんな感じで進められていきます。
読み始めての感想ですが、
正直、決してたやすく理解出来るものではない。
というのが個人的な感想です。
が、
ただ、非常に厳しく、勇気を求められる教えであることは間違いないでしょう。
そして、シンプルであるがゆえに、誤解を受けやすいとも、
哲人も、
>「アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解が難しい思想はない。
「自分はアドラーを知っている」と語る人の大半は、その教えを誤解しています。」(p9)
確かに、
私も本書を読んで完璧に理解しているのか、と問われれば、自信はありません。
私も大半の人と一緒で誤解しまくっているのかもしれません。
ただ、
己の浅学さを棚に上げても、
俺には言いたいことがあります!
アドラー心理学の基本的な考え方として、
「目的論」があります。
これはどういったことかというと、本書の「青年」の説明を引用すると、
青年「過去にどんな出来事があったとしても、それでなにか決定されるわけではない。
過去のトラウマも、あろうとなかろうと関係ない。
人間は、過去の原因に突き動かされる存在ではなく、現在の目的に沿って生きているのだから。
たとえば、「家庭環境が悪かったから暗い性格になった」と語る人。
これは人生の嘘である。
ほんとうは、「他者と関わることで傷つきたくない」という目的が先にあり、その目的をかなえるために、誰とも関わらない「暗い性格」を選択する。
そして自分がこんな性格を選んだ言い訳として、「過去の家庭環境」を持ち出している。
(p61)
私はよく、子どもたちに「因果応報」という言葉をよく使っています。
因果とは、
「因=原因」
「果=結果」
すなわち、「原因があって結果がある」
という言葉を信じていました。
ところが、アドラー心理学では、
そういった「因果」「原因」などで人間は動かされないとし、
その出来事に対して、どんな意味を与えるかによって生きている。
(と私は解釈しております)
そこまでは、なんとなく理解できます。
が、理解はできても納得できないのはここから!
本書の「哲人」は、
過去のトラウマに縛られることを、
悲劇という安酒に酔い、不遇なる「いま」のつらさを忘れようとしている。
と、厳しく非難しています。
私は、その厳しさに怒りを覚えてしまいました。
よりにもよって、人のトラウマやつらい経験などを簡単に「悲劇の安酒」の一言で片づけるなんて!
それは本書の「青年」も、
「虐げられた人間を侮辱している」
と、哲人を非難しています。
ですが、
哲人は言います。
それは違います。わたしは人間の可能性を信じているからこそ、悲劇に酔うことを否定するのです。(p70)
さて、哲人の真意とは?
話が長くなりすぎるので、また次回続編を書きます。
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