【つぶやき】俺、めっちゃ泣いた…トルコが自国民を差し置いても日本人を助けたわけとは?
2017年02月28日
おはようございます。
ブログ管理人のうのっちです。
いつも当ブログをご愛顧いただきありがとうございます<(_ _)>
http://fanblogs.jp/vermilionhands2015/category_7/過去の読書記事(ファンブログ)はこちらから


私の好きな本の一つに、
「人生に悩んだら「日本史」に聞こう 幸せの種は歴史の中にある 」ひすいこたろう・白駒妃登美 著
文庫: 264ページ
出版社: 祥伝社 (2015/4/9)
発売日: 2015/4/9
こう見えてもかなり歴史好きな私。
年表等、データを語るのは苦手なんですが、
それこそ、好きな幕末あたりの話になると、朝まで語れる自信があります(笑)
…。
嘘です、せいぜい2~3時間くらい(笑)
で、
この本の中には印象的な話が数多くありますが、
特に好きな話があります。
今から22年ほど前の1985年3月12日
イラン・イラク戦争真っ最中の頃ですが、
イラク軍によるイランの首都、テヘランに対する空爆が開始されました。
そして、イラク軍による一方的な撃墜予告。
世界中はパニックになります。
急いでテヘランから脱出しなければならない、大変な危機的状況下。
イランへの定期便もなく、自衛隊も救出に向かうことができないという…
それでもあきらめなかった当時のイランの日本大使、野村豊氏は、
最後の手段として、とある国に応援を求めました。
それがトルコでした。
「日本人のために救出用の航空機を飛ばしてくれないか?」
それはトルコにとって、
自国民の救出を犠牲にするという事でした。
それでも、当時のトルコのオザル首相は決断しました。
二機のトルコ航空機を、日本人救出のために派遣してくれたのです。
しかも、
トルコ航空では、即座に、この危険なフライトをしてくれるパイロットを募りました。
すると、なんとその場にいたパイロット全員が志願したというのです。
(p213)
トルコ政府の援助を受け、215人もの在留邦人は脱出に成功。
一方、空から脱出できなかったトルコ人は、3日もかけて陸路で脱出したといいます。
普通であれば、
このような決断を下したトルコ政府に対して国民から非難や批判が集中するでしょう。
脱出した在留邦人にも非難が…
ところが、
非難したトルコ人は誰もいなかった、といいます。
それも、
酷い思いをして脱出を余儀なくされたトルコ人当事者も含めて。
このくだりはいつ読んでも目頭が熱くなります。
こんな感動的なことがあろうかと。
なんのゆかりもない日本人に、
ここまで優しくしてくれるなんて…
しかし、
一体なぜ?
そう思った私でしたが…
それは、トルコ大使の短いコメントにあらわされていたといいます。
「トルコ人なら誰もが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。
ご恩返しをしただけです」
(p215)
1890年9月16日のこと、
トルコ軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で岩礁に激突、沈没しました。
死亡、行方不明者587人。生存者はわずか69人でした。
その時、生存者を助けたのは、串本沖に浮かぶ大島。
当時大島は大変貧しい村落だったといいますが、
遭難者のために貴重な米を炊き出し、また、手厚く看護したといいます。
そのおかげで、生存者69名の誰一人、命を落とすことなく帰国できたという話でした。
120年ほど昔のこと、
しかもこの歴史的事実を知っている人は日本ではかなり少ないでしょう。
俺も知りませんでしたから。
(お前基準かい!(自爆))
それでもトルコの方はこの事実を学んでくれていました。
だからこそ、テヘランで困っている日本人のことを助けてくれたのですね。
日本人として、これほど嬉しい事はありません。
本当にありがとう。
と言いたいとともに、
「過去の日本人てすげえんだぜ!」
と皆さんに教えたかった次第です。
トルコのみなさん、ありがとう~(^^♪
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私の好きな本の一つに、
「人生に悩んだら「日本史」に聞こう 幸せの種は歴史の中にある 」ひすいこたろう・白駒妃登美 著
文庫: 264ページ
出版社: 祥伝社 (2015/4/9)
発売日: 2015/4/9
こう見えてもかなり歴史好きな私。
年表等、データを語るのは苦手なんですが、
それこそ、好きな幕末あたりの話になると、朝まで語れる自信があります(笑)
…。
嘘です、せいぜい2~3時間くらい(笑)
で、
この本の中には印象的な話が数多くありますが、
特に好きな話があります。
今から22年ほど前の1985年3月12日
イラン・イラク戦争真っ最中の頃ですが、
イラク軍によるイランの首都、テヘランに対する空爆が開始されました。
そして、イラク軍による一方的な撃墜予告。
世界中はパニックになります。
急いでテヘランから脱出しなければならない、大変な危機的状況下。
イランへの定期便もなく、自衛隊も救出に向かうことができないという…
それでもあきらめなかった当時のイランの日本大使、野村豊氏は、
最後の手段として、とある国に応援を求めました。
それがトルコでした。
「日本人のために救出用の航空機を飛ばしてくれないか?」
それはトルコにとって、
自国民の救出を犠牲にするという事でした。
それでも、当時のトルコのオザル首相は決断しました。
二機のトルコ航空機を、日本人救出のために派遣してくれたのです。
しかも、
トルコ航空では、即座に、この危険なフライトをしてくれるパイロットを募りました。
すると、なんとその場にいたパイロット全員が志願したというのです。
(p213)
トルコ政府の援助を受け、215人もの在留邦人は脱出に成功。
一方、空から脱出できなかったトルコ人は、3日もかけて陸路で脱出したといいます。
普通であれば、
このような決断を下したトルコ政府に対して国民から非難や批判が集中するでしょう。
脱出した在留邦人にも非難が…
ところが、
非難したトルコ人は誰もいなかった、といいます。
それも、
酷い思いをして脱出を余儀なくされたトルコ人当事者も含めて。
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なんのゆかりもない日本人に、
ここまで優しくしてくれるなんて…
しかし、
一体なぜ?
そう思った私でしたが…
それは、トルコ大使の短いコメントにあらわされていたといいます。
「トルコ人なら誰もが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。
ご恩返しをしただけです」
(p215)
1890年9月16日のこと、
トルコ軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で岩礁に激突、沈没しました。
死亡、行方不明者587人。生存者はわずか69人でした。
その時、生存者を助けたのは、串本沖に浮かぶ大島。
当時大島は大変貧しい村落だったといいますが、
遭難者のために貴重な米を炊き出し、また、手厚く看護したといいます。
そのおかげで、生存者69名の誰一人、命を落とすことなく帰国できたという話でした。
120年ほど昔のこと、
しかもこの歴史的事実を知っている人は日本ではかなり少ないでしょう。
俺も知りませんでしたから。
(お前基準かい!(自爆))
それでもトルコの方はこの事実を学んでくれていました。
だからこそ、テヘランで困っている日本人のことを助けてくれたのですね。
日本人として、これほど嬉しい事はありません。
本当にありがとう。
と言いたいとともに、
「過去の日本人てすげえんだぜ!」
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