【一日一言名言】ノンスタ井上当て逃げ事故と、「粋か野暮か?」白駒妃登美
2016年12月18日
おはようございます。
いつも当ブログをご愛顧いただきありがとうございます<(_ _)>
http://fanblogs.jp/vermilionhands2015/category_7/過去の読書記事(ファンブログ)はこちらから
今回の一日一言名言は、
「粋か野暮か?」
白駒妃登美さんの言葉です。
といっても、名言というよりは「コラム」かなと。
白駒さんは、年間150回を超える歴史講座を全国各地で勢力に行うなど、れっきとした歴女で、
慶應義塾女子高への進学も、
「福沢諭吉が好きだから」
という理由(笑)
そんな白駒さんが歴史講座を開くようになったのは
われらがひすいさんとの出会いから。
そして、その出会いをきっかけに生まれたのが、


「人生に悩んだら「日本史」に聞こう 幸せの種は歴史の中にある 」ひすいこたろう・白駒妃登美・著
文庫: 264ページ
出版社: 祥伝社 (2015/4/9)
発売日: 2015/4/9
本書というわけです。
江戸時代、町民の中での作法に「江戸しぐさ」というのがありました。
例えば、
足を踏まれた場合、踏んだ方はもちろん謝りますよね。
「すみませんでした」と、
ですが、踏まれた方も、
「な~ん、こっちもぼーっとしとったから悪いがいちゃ、
悪かったちゃねえ~」
(以上、富山弁でお届けしてみました(笑))
と、踏まれた方も謝る、ということはありませんか?
これは、「江戸しぐさ」でいうところの「うかつあやまり」という作法。
足を踏まれた方が謝る、これって一見すると正しい事ではないと感じます。
それでも謝っちゃう!
それが粋、ということでしょうか?
最近よく、芸能界の不祥事などで特定の個人を叩きまくる風潮があります。
特に、過去記事でも取り上げた、ノンスタ井上の当て逃げ事故など。
「逃げたのは良くないね」的なヤフコメは分かるのですが、
中には、
「普通は止まるだろ。そんなこともできねえのかよ」
「ひき逃げ行為に当たる」
「逮捕しろ」
など、
そこまで言わんでもいいんじゃない、的な攻撃コメントなどが非常に目立ちます。
それは、「正しいか、正しくないか」で判断しているようなもの。
確かに、それは間違ってはいません。
でも、人間とは失敗するものであり、しくじる生き物。
それでは、どんな失敗もしくじりも許されないということになります。
誰だって失敗するんです。
だから学ぶんです。
「逃げとけ」って思ったけど、
これはやっぱりやってはいけない行為だったと。
自分の信頼をそこなうものであったと。
ちょっと考えればわかることだと言いますが、
もし、自分がその場に立てば、果たして冷静に義務を果たせるのか?
今の自分の職業でなく、井上さんのような人気芸人だとしたら?
「そういうんやったら、最初から逃げるなよ」
などと、しれっと言えますか?
果たして、ちゃんとできますか?
ちゃんと冷静に対処できる人もいるでしょう。
でも、出来ない人もいる。
出来なくて、それを取り繕うために、「気付かなかった」フリをしてしまう人もいるんです。
失敗すら許されない、
しくじりすら許されずに叩かれる、
しかも、井上さんと全くつながりのない赤の他人が、匿名で一方的に叩いている。
なんだか、息苦しいと思いませんか?
俺なら息が詰まってしまいます。
では、どういう価値観で判断すればいいのか?_
白駒さんは、それこそ冒頭の、
「粋か、野暮か」
という価値観はどうか、と提案しています。
私の中では、この価値観は今まで無かったです。
まさしくメカラウロコ(しつこいって!)
確かに、井上さんの当て逃げ行為は許されるものではありません。
が、それを匿名で激しく攻撃するのは「野暮」
激しい批判を読んで、みんながみんな、「うん、その通りだ」と思うわけではありません。
中には「そんなに言わなくても…」と思う人だっているんです。
(言うまでもなく、私もその一人)
その人にとっては「他者への攻撃」そのものが不快に思うでしょう。
白駒さんの言葉を借りれば、
自分たちだけではなく、
周りのみんなのハッピーを考えることが粋で、逆に自分の事しか考えないのは野暮
ちなみに、共著者のひすいこたろうさんは、
粋=「カッコイイかどうか」
だそうです。
「粋か、野暮か」
こんな価値観もアリなんじゃないかと思いました。

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「粋か野暮か?」
白駒妃登美さんの言葉です。
といっても、名言というよりは「コラム」かなと。
白駒さんは、年間150回を超える歴史講座を全国各地で勢力に行うなど、れっきとした歴女で、
慶應義塾女子高への進学も、
「福沢諭吉が好きだから」
という理由(笑)
そんな白駒さんが歴史講座を開くようになったのは
われらがひすいさんとの出会いから。
そして、その出会いをきっかけに生まれたのが、
「人生に悩んだら「日本史」に聞こう 幸せの種は歴史の中にある 」ひすいこたろう・白駒妃登美・著
文庫: 264ページ
出版社: 祥伝社 (2015/4/9)
発売日: 2015/4/9
本書というわけです。
江戸時代、町民の中での作法に「江戸しぐさ」というのがありました。
例えば、
足を踏まれた場合、踏んだ方はもちろん謝りますよね。
「すみませんでした」と、
ですが、踏まれた方も、
「な~ん、こっちもぼーっとしとったから悪いがいちゃ、
悪かったちゃねえ~」
(以上、富山弁でお届けしてみました(笑))
と、踏まれた方も謝る、ということはありませんか?
これは、「江戸しぐさ」でいうところの「うかつあやまり」という作法。
足を踏まれた方が謝る、これって一見すると正しい事ではないと感じます。
それでも謝っちゃう!
それが粋、ということでしょうか?
最近よく、芸能界の不祥事などで特定の個人を叩きまくる風潮があります。
特に、過去記事でも取り上げた、ノンスタ井上の当て逃げ事故など。
「逃げたのは良くないね」的なヤフコメは分かるのですが、
中には、
「普通は止まるだろ。そんなこともできねえのかよ」
「ひき逃げ行為に当たる」
「逮捕しろ」
など、
そこまで言わんでもいいんじゃない、的な攻撃コメントなどが非常に目立ちます。
それは、「正しいか、正しくないか」で判断しているようなもの。
確かに、それは間違ってはいません。
でも、人間とは失敗するものであり、しくじる生き物。
それでは、どんな失敗もしくじりも許されないということになります。
誰だって失敗するんです。
だから学ぶんです。
「逃げとけ」って思ったけど、
これはやっぱりやってはいけない行為だったと。
自分の信頼をそこなうものであったと。
ちょっと考えればわかることだと言いますが、
もし、自分がその場に立てば、果たして冷静に義務を果たせるのか?
今の自分の職業でなく、井上さんのような人気芸人だとしたら?
「そういうんやったら、最初から逃げるなよ」
などと、しれっと言えますか?
果たして、ちゃんとできますか?
ちゃんと冷静に対処できる人もいるでしょう。
でも、出来ない人もいる。
出来なくて、それを取り繕うために、「気付かなかった」フリをしてしまう人もいるんです。
失敗すら許されない、
しくじりすら許されずに叩かれる、
しかも、井上さんと全くつながりのない赤の他人が、匿名で一方的に叩いている。
なんだか、息苦しいと思いませんか?
俺なら息が詰まってしまいます。
では、どういう価値観で判断すればいいのか?_
白駒さんは、それこそ冒頭の、
「粋か、野暮か」
という価値観はどうか、と提案しています。
私の中では、この価値観は今まで無かったです。
まさしくメカラウロコ(しつこいって!)
確かに、井上さんの当て逃げ行為は許されるものではありません。
が、それを匿名で激しく攻撃するのは「野暮」
激しい批判を読んで、みんながみんな、「うん、その通りだ」と思うわけではありません。
中には「そんなに言わなくても…」と思う人だっているんです。
(言うまでもなく、私もその一人)
その人にとっては「他者への攻撃」そのものが不快に思うでしょう。
白駒さんの言葉を借りれば、
自分たちだけではなく、
周りのみんなのハッピーを考えることが粋で、逆に自分の事しか考えないのは野暮
ちなみに、共著者のひすいこたろうさんは、
粋=「カッコイイかどうか」
だそうです。
「粋か、野暮か」
こんな価値観もアリなんじゃないかと思いました。
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