【知られざるアーティスト】「山達」と言えば「山下達郎」でなくて…「山本達彦」さんなんだよな。
2023年01月17日
おはようございます。
さてさて、
みなさんは、「山達」といったら誰を思い浮かべますか?
そりゃあ、ほとんどの方はあの大御所アーティスト「山下達郎」さんを思い浮かべると思う。
何せ、山下達郎さんのラジオ番組「サンデーソングブック」は、昨年10月で30周年を迎えたというし。
俺の若い頃は、サンデーすなわち日曜ではなく、
サタデーソングブック、土曜日の午後の放送だったな~(懐かしい)
しかしながら、
俺にとっての「山達」は…
山本達彦さんなんだよなあ。
【「シティーポップの貴公子」こと、山本達彦さんとは…】
山本達彦さんを知ったのは…多分に姉の影響がある。
中学生の頃、姉が立て続けに結婚したのだが、
姉が家に置いていったカセットテープを聞くようになって…
TUBEだったり、杉山清貴さんだったり、
まあ色々聞くようになったんだが、
その中にあったのが、山本達彦さんのアルバム「MUSIC」だった…と記憶している。

(※拾い画です)
なんかね、山本達彦さんの歌声が当時好きだったんだよなあ。
俺が中学生の当時、音楽の主流がレコード盤からCDに移りつつあったこともあり、
街のレンタルビデオショップでレンタルレコード盤が格安で売られていたんだが、それをよく買いあさってたな。
で、
その中に山本達彦さんのライブレコードもあり、今でも捨てずに家にあったりする。



俺の中のイメージでは、80年代から活動してたイメージだったけど、
意外なことに、1974年(俺の生まれた年)から活動されてたんだな。
「シティーポップの貴公子」という別名を持つ(とも言われている)山本達彦さん
見ればわかる通り、かなりのイケメンさんです。
【かなりの経歴だが…マイナーなアーティストなんだよなあ】
山本達彦さん、かなりの経歴の持ち主で、
小学2年生の時には、東京少年少女合唱隊に入られてた、というから驚き!
かまやつさんのバンドに、THE ALFEEと共に参加してた…やなんて、
それだけでもすげえよなあ。
ただ、
それだけの経歴を持ちながらも…
知名度が低く、あまり知られていないんだよね。
実際、俺がヒット曲だと思っていたシングル曲「ロンリージャーニー」だが、
山本達彦「ロンリージャーニー」
Wikipediaによると初登場46位で4.1万枚だそうだ。
嘘やろ!
だが、当時中学生の俺に、大人の世界というか、大人の恋愛というか、
そういうものを垣間見せてくれたような気がする。
マイナーな存在ではもったいない!
そう思って、今回の記事を書かせてもらいました。
【山本達彦さん、現在は…】
家のレコード盤だが、レコードプレーヤーが無くて再生出来ないんだけど、
今は本当に便利なもので…
山本達彦さんのYouTubeチャンネルでは、当時の音源が無料で聴けるという。
最近ずっと車の中で聴いてます。
ほんと懐かしい!
歌詞の内容がいかにも80年代っぽい、バブリーな感じ。
時代を超えた…みたいなのにはならないのかな。
そこが若干古さを感じるのだが…
そこがヒットしない理由なのかもしれない。
けど、やっぱり声質が好きなんだよなあ~
さてさて、現在だが、
ネットで調べてみると、70代近い今現在においても、精力的に音楽活動されている…とのこと。
これからもお元気で活動されることを祈る次第です。
この記事を見て、山本達彦さんのことを少しでも知ってもらえると嬉しいです。
いつも当ブログをご愛顧いただきありがとうございます<(_ _)>

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さてさて、
みなさんは、「山達」といったら誰を思い浮かべますか?
そりゃあ、ほとんどの方はあの大御所アーティスト「山下達郎」さんを思い浮かべると思う。
何せ、山下達郎さんのラジオ番組「サンデーソングブック」は、昨年10月で30周年を迎えたというし。
俺の若い頃は、サンデーすなわち日曜ではなく、
サタデーソングブック、土曜日の午後の放送だったな~(懐かしい)
しかしながら、
俺にとっての「山達」は…
山本達彦さんなんだよなあ。
【「シティーポップの貴公子」こと、山本達彦さんとは…】
山本達彦さんを知ったのは…多分に姉の影響がある。
中学生の頃、姉が立て続けに結婚したのだが、
姉が家に置いていったカセットテープを聞くようになって…
TUBEだったり、杉山清貴さんだったり、
まあ色々聞くようになったんだが、
その中にあったのが、山本達彦さんのアルバム「MUSIC」だった…と記憶している。

(※拾い画です)
なんかね、山本達彦さんの歌声が当時好きだったんだよなあ。
俺が中学生の当時、音楽の主流がレコード盤からCDに移りつつあったこともあり、
街のレンタルビデオショップでレンタルレコード盤が格安で売られていたんだが、それをよく買いあさってたな。
で、
その中に山本達彦さんのライブレコードもあり、今でも捨てずに家にあったりする。



俺の中のイメージでは、80年代から活動してたイメージだったけど、
意外なことに、1974年(俺の生まれた年)から活動されてたんだな。
「シティーポップの貴公子」という別名を持つ(とも言われている)山本達彦さん
見ればわかる通り、かなりのイケメンさんです。
【かなりの経歴だが…マイナーなアーティストなんだよなあ】
山本達彦さん、かなりの経歴の持ち主で、
小学2年生の時には、東京少年少女合唱隊に入られてた、というから驚き!
暁星小学校2年時に東京少年合唱隊に参加。同合唱隊は1964年の北米親善旅行の際、東京少女合唱隊と合併して現在の東京少年少女合唱隊となった。山本はこのアメリカツアーに参加し、エド・サリヴァン・ショウに出演した。
成蹊大学時代、「オレンジ」というバンドを結成。日本テレビのアマチュアバンド・コンテスト番組『キンキン&ムッシュのザ・チャレンジ』(司会:愛川欽也,かまやつひろし)で優勝し、ロンドンでレコーディングしたシングル「翼のない天使」でデビューするも、「オレンジ」としての活動はうまくいかず、かまやつのバックバンドとしてツアーに同行(キーボードとコーラス担当)。THE ALFEEと共に参加していた時期がある。
1976年、「オレンジ」解散。大学卒業後、ソロのシンガーソングライターとしての活動を本格的に始める。1978年、「突風〜SUDDEN WIND」(日本フォノグラム)でデビュー。その後、東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)・イーストワールド、アルファレコード、ファンハウス(現:アリオラジャパン)、ワンダーエンターテイメントとレコード会社を移り、1999年、自主レーベル「Silence」を立ち上げる。2008年までに、シングル34枚、オリジナル・アルバム28枚、ベスト・アルバム15枚、ライブ・アルバム3枚、Instrumentalアルバム2枚、サウンドトラック1枚、を発表している。
かまやつさんのバンドに、THE ALFEEと共に参加してた…やなんて、
それだけでもすげえよなあ。
ただ、
それだけの経歴を持ちながらも…
知名度が低く、あまり知られていないんだよね。
実際、俺がヒット曲だと思っていたシングル曲「ロンリージャーニー」だが、
山本達彦「ロンリージャーニー」
Wikipediaによると初登場46位で4.1万枚だそうだ。
嘘やろ!
だが、当時中学生の俺に、大人の世界というか、大人の恋愛というか、
そういうものを垣間見せてくれたような気がする。
マイナーな存在ではもったいない!
そう思って、今回の記事を書かせてもらいました。
【山本達彦さん、現在は…】
家のレコード盤だが、レコードプレーヤーが無くて再生出来ないんだけど、
今は本当に便利なもので…
山本達彦さんのYouTubeチャンネルでは、当時の音源が無料で聴けるという。
最近ずっと車の中で聴いてます。
ほんと懐かしい!
歌詞の内容がいかにも80年代っぽい、バブリーな感じ。
時代を超えた…みたいなのにはならないのかな。
そこが若干古さを感じるのだが…
そこがヒットしない理由なのかもしれない。
けど、やっぱり声質が好きなんだよなあ~
さてさて、現在だが、
ネットで調べてみると、70代近い今現在においても、精力的に音楽活動されている…とのこと。
これからもお元気で活動されることを祈る次第です。
この記事を見て、山本達彦さんのことを少しでも知ってもらえると嬉しいです。
いつも当ブログをご愛顧いただきありがとうございます<(_ _)>
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