【講座レポ】2022.11.13「狂愚誠に愛すべし テロリストか?教育者か?~吉田松陰的な生き方~」(まつもとせいや氏)
2022年12月14日
おはようございます。
さてさて、前回は朝活富山の朝活レポートでしたが…
今回は、俺の大好きな歴史に関する講座です。
それがこちら、
「狂愚誠に愛すべし テロリストか?教育者か?~吉田松陰的な生き方~」

です。
今回の主催、まつもとせいやさんの講座です。

実は、まつもとさんとはリアルでお会いする機会こそなかったものの、
自身が主催するイベントにはよくお誘いしていただいていました。
が、まあいろいろあってなかなか参加出来なくてね~
今回、なんとか時間空けられそうだったので参加した次第!
先ほども書いたけど、俺、ほんと歴史が大好きで、
特に好きな時代が幕末なんですよ。
【講座開始!まつもとせいや氏の最初の印象は?何故に今「吉田松陰」なのか?】
会場は、富山市堀の学習塾「TORII塾」
こういう講座が学習塾で行われる…というのも意外だな。
会場には、主催のまつもとさん、塾長の鳥居さん、参加者の方など数人ほど。
どうも、いつもより集まるのが遅いみたいで、定刻より十数分遅れでスタートしました。
で、最初の印象は…

まつもとさん、かなりくだけた、ざっくばらんに話される方。
これはね…聞きやすいよ本当。難しい言葉も分かりやすく説明してくれるし。
きっと、歴史が苦手な人でも楽しんで見られると思う。
講座の内容だが…
実は、吉田松陰の名が日本史の教科書から消されようとしているそうです。
識者曰く、「尊王攘夷を扇動した、ただのテロリストなんじゃないか」と。
(そんなこと言う識者出てこい!ふざけんな!)
だが、彼の私塾「松下村塾」では、のちの世を作り上げた逸材を育てたのも事実。
彼はテロリストなのか、教育者なのか…
吉田松陰の生涯をたどりながひも解いていこう…というのが今回の内容。
(だいぶ端折ったけど)
【凄いぜ吉田松陰!10歳にして「講義を教える」(教わるんじゃないよ)】
で、最初はその誕生から。

長州藩、今の山口県に生まれた吉田松陰(寅次郎)。
これがすごいのよ。
なんてったって、齢まだ10歳で山鹿流兵学を教えるんだからね~(学ぶじゃないのよ)
いかに、吉田松陰が幼少から凄かったかが分かる、というもの。
【氷解!なぜバレてもない密航で自首したのか?すべては「恩師を守るため!」】
折からのペリー来航。
この松陰先生は、ペリーに直訴してアメリカに連れて行ってもらおうと画策したのだけど。
弟子と小舟でペリーの軍艦に乗り込む松陰だが、
事を荒立てたくないペリーはやんわりと断る…という流れ。
で、密航の罪を自首することとなったんだが…

俺、実は前から不思議に思うことがあって、
なんで、吉田松陰はバレてもない密航でわざわざ自首したんだろうかと。
それが謎だったんだが…
どうも、この密航実行にあたり、師の佐久間象山から餞別の書(だったかな?)を戴いたようで、
それを密航を企てた際、小舟に置いてきてしまったといいます。
もしそれが見つかったら…師に害を及ぼすかもしれない…
ということで、それを防ぐために自首したそうです。
聞いてみないと分からんもんやなあ。
で、
ペリーは、吉田松陰のその時の様子をかなり高い評価をしていたというのも、実は初めて知った次第。
この後、長州藩に送り返され、野山獄に収監されてしまいます。
野山獄とは、今まで生きて出た者はいない…とされる監獄。
入れば死を待つだけ…という状況下ながら、
松陰はここで、講義を教えることを決意。
どうせここから出られず死ぬだけだ…という他の囚人が思う中、
決して己を曲げず、講義を続けると…
他の囚人はおろか、門番すら耳を傾けるようになるという。
これってめっちゃ凄いことやんね~
そして、晴れて野山獄を出獄。生きて出獄出来たのは松陰が初めてといいます。
【いよいよ、「松下村塾」を受け継ぐ!】
出獄後、叔父から受け継いだのが…あの「松下村塾」
後に、久坂玄瑞、高杉晋作らが塾生として加わるわけですな。

講座の中で出てきた言葉の一つに、
学は人たる所以を学ぶなり!
という言葉があります。
この言葉、なんだか心に染みます。学問って、「人とは何か」を学ぶものなのだなあと。
吉田松陰自身が講義する…というのはほとんどなくて、
塾生による講義など、自主性を重んじた形となっているのが特徴的。
松下村塾で多くの人材を育てる松陰でしたが…
ここでとある事件が…
【時の老中暗殺計画!江戸への護送とその非業の死】
それは、日米和親条約の調印です。
本来、外国と条約を結ぶときは朝廷すなわち天皇の許可がいるだけど、
時の天皇は外国と条約を結ぶことは断じて容認できないと、許可が出ない。
なので、やむを得ず、天皇の許可なしに条約を結んだわけだが…
天皇をないがしろにして、外国との条約を無断で調印した、時の大老・井伊直弼の身勝手なふるまいに、
怒りが爆発する松陰。
ここから、過激な行動を加速させてしまいます。
それは、老中・間部詮勝の暗殺、襲撃。
時の老中を襲撃する、なんて…
高杉や久坂など塾生が自重を促すものの…
思いとどまるどころか、反対する塾生に対して厳しく批判する松陰。
とうとう江戸に護送される松陰。
この後、江戸に着いた松陰は、老中の暗殺を白状してしまいます。
この時、別に老中暗殺の詮議を受けたわけではなかったのですが、
不用意というべきか…こともあろうに自ら老中暗殺を自白してしまうのです。
どこまでも真っすぐで、不器用で、上手く立ち回る…なんてことは出来ない人のようです。
自分の至誠は必ず相手に届く。届かないのは自分の伝え方が悪いから。
ほんと、良くも悪くも純粋な人だ。


不憫な人だな、と思う一方で、
周りの目を気にせず思うように、毀誉褒貶も気にせず過激に思えることもやり遂げられる。
そんな松陰先生を羨ましくも感じました。
よくも悪くも愚直なまでに真っすぐな人
これこそが、ある面では教育者、ある面ではテロリスト、その両面併せ持つ松陰先生の姿かもしれないな。
まさしく激動の生涯でした。
三時間近くの長時間に渡る講義だったが、むちゃくちゃ楽しかった。
歴史に興味のある方も、無い方も、
どうか、まつもとせいやさんの講座を聞いてほしいと思う。
何度も言うが、
ざっくばらんで、難しい言葉を使わないで、
誰でも聞きやすい講座だと思うわ。


TORII塾前にて。

参加して良かった~
てか、まさか娘が通ってた塾の榎木先生が参加されてたとはビックリだったぞ!
いつも当ブログをご愛顧いただきありがとうございます<(_ _)>

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さてさて、前回は朝活富山の朝活レポートでしたが…
今回は、俺の大好きな歴史に関する講座です。
それがこちら、
「狂愚誠に愛すべし テロリストか?教育者か?~吉田松陰的な生き方~」

です。
今回の主催、まつもとせいやさんの講座です。

実は、まつもとさんとはリアルでお会いする機会こそなかったものの、
自身が主催するイベントにはよくお誘いしていただいていました。
が、まあいろいろあってなかなか参加出来なくてね~
今回、なんとか時間空けられそうだったので参加した次第!
先ほども書いたけど、俺、ほんと歴史が大好きで、
特に好きな時代が幕末なんですよ。
【講座開始!まつもとせいや氏の最初の印象は?何故に今「吉田松陰」なのか?】
会場は、富山市堀の学習塾「TORII塾」
こういう講座が学習塾で行われる…というのも意外だな。
会場には、主催のまつもとさん、塾長の鳥居さん、参加者の方など数人ほど。
どうも、いつもより集まるのが遅いみたいで、定刻より十数分遅れでスタートしました。
で、最初の印象は…

まつもとさん、かなりくだけた、ざっくばらんに話される方。
これはね…聞きやすいよ本当。難しい言葉も分かりやすく説明してくれるし。
きっと、歴史が苦手な人でも楽しんで見られると思う。
講座の内容だが…
実は、吉田松陰の名が日本史の教科書から消されようとしているそうです。
識者曰く、「尊王攘夷を扇動した、ただのテロリストなんじゃないか」と。
(そんなこと言う識者出てこい!ふざけんな!)
だが、彼の私塾「松下村塾」では、のちの世を作り上げた逸材を育てたのも事実。
彼はテロリストなのか、教育者なのか…
吉田松陰の生涯をたどりながひも解いていこう…というのが今回の内容。
(だいぶ端折ったけど)
【凄いぜ吉田松陰!10歳にして「講義を教える」(教わるんじゃないよ)】
で、最初はその誕生から。

長州藩、今の山口県に生まれた吉田松陰(寅次郎)。
これがすごいのよ。
なんてったって、齢まだ10歳で山鹿流兵学を教えるんだからね~(学ぶじゃないのよ)
いかに、吉田松陰が幼少から凄かったかが分かる、というもの。
【氷解!なぜバレてもない密航で自首したのか?すべては「恩師を守るため!」】
折からのペリー来航。
この松陰先生は、ペリーに直訴してアメリカに連れて行ってもらおうと画策したのだけど。
弟子と小舟でペリーの軍艦に乗り込む松陰だが、
事を荒立てたくないペリーはやんわりと断る…という流れ。
で、密航の罪を自首することとなったんだが…

俺、実は前から不思議に思うことがあって、
なんで、吉田松陰はバレてもない密航でわざわざ自首したんだろうかと。
それが謎だったんだが…
どうも、この密航実行にあたり、師の佐久間象山から餞別の書(だったかな?)を戴いたようで、
それを密航を企てた際、小舟に置いてきてしまったといいます。
もしそれが見つかったら…師に害を及ぼすかもしれない…
ということで、それを防ぐために自首したそうです。
聞いてみないと分からんもんやなあ。
で、
ペリーは、吉田松陰のその時の様子をかなり高い評価をしていたというのも、実は初めて知った次第。
この後、長州藩に送り返され、野山獄に収監されてしまいます。
野山獄とは、今まで生きて出た者はいない…とされる監獄。
入れば死を待つだけ…という状況下ながら、
松陰はここで、講義を教えることを決意。
どうせここから出られず死ぬだけだ…という他の囚人が思う中、
決して己を曲げず、講義を続けると…
他の囚人はおろか、門番すら耳を傾けるようになるという。
これってめっちゃ凄いことやんね~
そして、晴れて野山獄を出獄。生きて出獄出来たのは松陰が初めてといいます。
【いよいよ、「松下村塾」を受け継ぐ!】
出獄後、叔父から受け継いだのが…あの「松下村塾」
後に、久坂玄瑞、高杉晋作らが塾生として加わるわけですな。

講座の中で出てきた言葉の一つに、
学は人たる所以を学ぶなり!
という言葉があります。
この言葉、なんだか心に染みます。学問って、「人とは何か」を学ぶものなのだなあと。
吉田松陰自身が講義する…というのはほとんどなくて、
塾生による講義など、自主性を重んじた形となっているのが特徴的。
松下村塾で多くの人材を育てる松陰でしたが…
ここでとある事件が…
【時の老中暗殺計画!江戸への護送とその非業の死】
それは、日米和親条約の調印です。
本来、外国と条約を結ぶときは朝廷すなわち天皇の許可がいるだけど、
時の天皇は外国と条約を結ぶことは断じて容認できないと、許可が出ない。
なので、やむを得ず、天皇の許可なしに条約を結んだわけだが…
天皇をないがしろにして、外国との条約を無断で調印した、時の大老・井伊直弼の身勝手なふるまいに、
怒りが爆発する松陰。
ここから、過激な行動を加速させてしまいます。
それは、老中・間部詮勝の暗殺、襲撃。
時の老中を襲撃する、なんて…
高杉や久坂など塾生が自重を促すものの…
思いとどまるどころか、反対する塾生に対して厳しく批判する松陰。
とうとう江戸に護送される松陰。
この後、江戸に着いた松陰は、老中の暗殺を白状してしまいます。
この時、別に老中暗殺の詮議を受けたわけではなかったのですが、
不用意というべきか…こともあろうに自ら老中暗殺を自白してしまうのです。
どこまでも真っすぐで、不器用で、上手く立ち回る…なんてことは出来ない人のようです。
自分の至誠は必ず相手に届く。届かないのは自分の伝え方が悪いから。
ほんと、良くも悪くも純粋な人だ。


不憫な人だな、と思う一方で、
周りの目を気にせず思うように、毀誉褒貶も気にせず過激に思えることもやり遂げられる。
そんな松陰先生を羨ましくも感じました。
よくも悪くも愚直なまでに真っすぐな人
これこそが、ある面では教育者、ある面ではテロリスト、その両面併せ持つ松陰先生の姿かもしれないな。
まさしく激動の生涯でした。
三時間近くの長時間に渡る講義だったが、むちゃくちゃ楽しかった。
歴史に興味のある方も、無い方も、
どうか、まつもとせいやさんの講座を聞いてほしいと思う。
何度も言うが、
ざっくばらんで、難しい言葉を使わないで、
誰でも聞きやすい講座だと思うわ。


TORII塾前にて。

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