【つぶやき】日本人てめっちゃすげえ!50歳過ぎで日本で初めての実測地図をつくった人物、伊能忠敬
2020年06月11日
おはようございます。
先日、久々に「しくじり先生」を録画視聴しました。
その時の先生は「カズレーザー」先生で、
40年以上愛されるアニメ「機動戦士ガンダム」のしくじりについての授業でした。
まあ、それは本筋と関係ないので割愛します(笑)が、
どうもそれが呼び水になったのか、
気が付けば過去の録画した「しくじり先生」を見る娘(笑)
そのうちに俺も見たくなりまして…
それが、過去に放送された、オリラジ中田敦彦氏の「しくじり偉人伝」
伊能忠敬さんのストーリーでした

(なぜ、「スーパーボランティア」なのかというと、この地図作成について、幕府はほとんどお金を出していないから)
伊能忠敬といえば、「日本で初めて実測地図をつくった人物」ですが、
こう聞くと、さぞ、若いころから学問にいそしんで…とお思いでしょうが、
伊能さんが地図を作るために勉強しだしたのが…なんと50歳を過ぎてから!
すごくないけ~!?
俺なら真似できんわ~(涙)
元々、千葉県(分かりにくいので旧国名は書かない(笑))の佐原にある造り酒屋、伊能家に婿養子として入ったというのが17歳のころ。
当時危機的状況下であった伊能家の財政を立て直し、さらには家業の拡大に成功します。
かなり優れた経営者であるということが伺い知れますが、
伊能さんのすごいのはここから!
50歳にもなれば、それまでの貯えをもとに悠々自適の隠居生活を送るであろうところを…
財産、地位などを長男に譲るや、迷うことなく江戸に出ていくのです。
それから天文学の先生に師事しするや、昼夜問わずの猛勉強を続け…
ついには、幕府の許可を得て、地図を作るために、当時未開の北海道(いわゆる蝦夷地)へ向け、測量の旅に出ます。
当然、今のようなGPSも観測衛星も無かった時代、
人の足と、方位磁石を元に、緻密な海岸線を書いていくという、
まさに気の遠くなるような作業。
数々の難所を、そうやって測量し続けるのは想像も出来ないほど過酷であったと思います。
しかも、掛かった費用はほぼほぼ自腹!
(幕府の援助はたった20両ほど。現在の価値に換算しても200万行くか行かないくらい。
「スーパーボランティア」というのはこのこと)
でも、伊能さんはその大事業をやり切ったんです。
足掛け17年、という気の遠くなる期間を経て!
そして出来たのが、

大日本沿岸輿地全図です。
こうしてみると、とても人の足で作ったものとは思えないほどの緻密さです。
伊能さんの歩幅は69センチだと言われているのですが、
しかも完ぺきに同じ歩幅で歩きとおしたといいます(驚)
すごくないけ?
そんなん、訓練せんとなかなかこういかんちゃよ~
さらにすごいのは、
元々天文学を学んだのは、
「地球の大きさを知りたい」というものなのですが…
伊能さんのはじき出した数値と、当時のオランダ最新天文学書と照らし合わせてみると…
ともに約4万キロで数値が一致したそうです。
機械を持たない日本人が導き出した答えと、
ヨーロッパの最新技術を使って割り出した答えが一致したというのだから、
驚異的なことっすよ!
こうしてみると…
やっぱり日本人てすげえなあ~って思う。
このコロナ禍の中
世界では、「国内で数十万人が感染!」という国も少なくない中で、
17200人ほどの感染者と920人の死者に抑えられたというのは驚異的じゃないかと思う。
美化しすぎだよ!とツッコまれるかもしれないけれど、
まだまだ第2波、第3波拡大の恐れもあるけれど、
自粛が行き過ぎて、自粛警察や、感染者に誹謗中傷…なんて負の行いもあるけれど…
やはり日本人てすごくないけ~
と俺は言いたいです。
と、伊能忠敬さんの業績と、今現在の日本を、
かなり強引につなげて(自爆)書いてみました(;^ω^)
いつも当ブログをご愛顧いただきありがとうございます<(_ _)>

http://fanblogs.jp/vermilionhands2015/category_7/過去の読書記事(ファンブログ)はこちらから

先日、久々に「しくじり先生」を録画視聴しました。
その時の先生は「カズレーザー」先生で、
40年以上愛されるアニメ「機動戦士ガンダム」のしくじりについての授業でした。
まあ、それは本筋と関係ないので割愛します(笑)が、
どうもそれが呼び水になったのか、
気が付けば過去の録画した「しくじり先生」を見る娘(笑)
そのうちに俺も見たくなりまして…
それが、過去に放送された、オリラジ中田敦彦氏の「しくじり偉人伝」
伊能忠敬さんのストーリーでした

(なぜ、「スーパーボランティア」なのかというと、この地図作成について、幕府はほとんどお金を出していないから)
伊能忠敬といえば、「日本で初めて実測地図をつくった人物」ですが、
こう聞くと、さぞ、若いころから学問にいそしんで…とお思いでしょうが、
伊能さんが地図を作るために勉強しだしたのが…なんと50歳を過ぎてから!
すごくないけ~!?
俺なら真似できんわ~(涙)
元々、千葉県(分かりにくいので旧国名は書かない(笑))の佐原にある造り酒屋、伊能家に婿養子として入ったというのが17歳のころ。
当時危機的状況下であった伊能家の財政を立て直し、さらには家業の拡大に成功します。
かなり優れた経営者であるということが伺い知れますが、
伊能さんのすごいのはここから!
50歳にもなれば、それまでの貯えをもとに悠々自適の隠居生活を送るであろうところを…
財産、地位などを長男に譲るや、迷うことなく江戸に出ていくのです。
それから天文学の先生に師事しするや、昼夜問わずの猛勉強を続け…
ついには、幕府の許可を得て、地図を作るために、当時未開の北海道(いわゆる蝦夷地)へ向け、測量の旅に出ます。
当然、今のようなGPSも観測衛星も無かった時代、
人の足と、方位磁石を元に、緻密な海岸線を書いていくという、
まさに気の遠くなるような作業。
数々の難所を、そうやって測量し続けるのは想像も出来ないほど過酷であったと思います。
しかも、掛かった費用はほぼほぼ自腹!
(幕府の援助はたった20両ほど。現在の価値に換算しても200万行くか行かないくらい。
「スーパーボランティア」というのはこのこと)
でも、伊能さんはその大事業をやり切ったんです。
足掛け17年、という気の遠くなる期間を経て!
そして出来たのが、

大日本沿岸輿地全図です。
こうしてみると、とても人の足で作ったものとは思えないほどの緻密さです。
伊能さんの歩幅は69センチだと言われているのですが、
しかも完ぺきに同じ歩幅で歩きとおしたといいます(驚)
すごくないけ?
そんなん、訓練せんとなかなかこういかんちゃよ~
さらにすごいのは、
元々天文学を学んだのは、
「地球の大きさを知りたい」というものなのですが…
伊能さんのはじき出した数値と、当時のオランダ最新天文学書と照らし合わせてみると…
ともに約4万キロで数値が一致したそうです。
機械を持たない日本人が導き出した答えと、
ヨーロッパの最新技術を使って割り出した答えが一致したというのだから、
驚異的なことっすよ!
こうしてみると…
やっぱり日本人てすげえなあ~って思う。
このコロナ禍の中
世界では、「国内で数十万人が感染!」という国も少なくない中で、
17200人ほどの感染者と920人の死者に抑えられたというのは驚異的じゃないかと思う。
美化しすぎだよ!とツッコまれるかもしれないけれど、
まだまだ第2波、第3波拡大の恐れもあるけれど、
自粛が行き過ぎて、自粛警察や、感染者に誹謗中傷…なんて負の行いもあるけれど…
やはり日本人てすごくないけ~
と俺は言いたいです。
と、伊能忠敬さんの業績と、今現在の日本を、
かなり強引につなげて(自爆)書いてみました(;^ω^)
いつも当ブログをご愛顧いただきありがとうございます<(_ _)>
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